ホーム > クラシック > グスタフ・マーラー
グスタフ・マーラー
- 交響曲第1番ニ長調『巨人』(1884-88)
- さすらう若人の歌(1883-85):全4曲。1892年-96年改訂、約18分
- 交響曲第2番ハ短調『復活』(1888-94)
- 交響曲第3番ニ短調『夏の朝の夢』(1895-96)
- 交響曲第4番ト長調『大いなる喜びへの賛歌/ユモレスケ』(1899-1900)
- 交響曲第5番嬰ハ短調(1901-02)
- 交響曲第6番イ短調『悲劇的』(1903-04)
- 亡き子をしのぶ歌(1901-03):全5曲。約26分
- 交響曲第7番ホ短調『夜の歌』(1904-05)
- リュッケルトの詩による5つの歌曲(1901-03):全5曲。演奏順序は自由、約19分
- 交響曲第8番 変ホ長調『千人の交響曲』(1906)
- 交響曲『大地の歌』(1907-09):イ短調だが最後はジャズの手法に近く、近代的なハ長調の付加六の和音で終わる
- 交響曲第9番ニ長調(1909-10)
- 交響曲第10番嬰ヘ長調(1910):未完。デリック・クックやルドルフ・バルシャイら補筆版あり今でもその改訂版がブルックナーの第九のように代々作られている
- 少年の魔法の角笛(1892-98):全12曲。演奏順序は自由、これに第2交響曲の『原光』と第4交響曲の「私達は天国の喜びを味わっている」を加えることもある、約52分
交響曲第1番ニ長調『巨人』
- ゲオルグ・ショルティ指揮、シカゴ交響楽団(1983年10月、オーケストラ・ホール・シカゴ)、Po. F35L-20051 (London)、57分
- Leonard Bernstein指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、Univ. UCCG-9838/41 (DG)、56分
この「巨人」には、そうしたことのすべてが鮮麗な音楽として示されている。マーラーのスコアが、オーケストラの独奏の妙技と合奏の精緻を要求していることはいうまでもないが、ショルティの「巨人」は、今さらのようにその書法のみごとさを痛感させる。すなわち木管と金管のことごとくに、艶やかな音のふくらみと技巧のなめらかさがあり、弦も精緻な中に十分ゆとりがある。それは成熟した銘酒のようにこくのある味わいを具えているが、マーラーのスコアを音にするという仕事は、これでなくてはならない・・・(以下、略)。(ロンドン版日本語ライナー・小石忠男)
-------
この曲以前にマーラーが作曲したのは、主に室内楽と歌曲であり、28歳になって彼は始めて最初の交響曲を完成し、将来の彼独自の方向が定まった。作曲に着手したのはライプツィヒに滞在していた1884年頃であったが、かなり長い年月を経て、1888年、ブタペスト王立歌劇場の指揮者をしていたときに完成した。
ここには声楽を伴なってないが、彼が23歳のときに作曲した歌曲集『さすらう若人の歌』の旋律を用いていることからしても、早くもマーラーの交響曲の歌曲との密接な関係が示されている。
彼は友人の評論家パウル・ステファンの言をいれて、この曲のヴァイマルとハンブルグびおける上演の際、かってウィーン大学時代に愛読したジャン・パウルの小説と同じ『巨人』という名をこの曲に付け、次のような注を加えた。
- 若き日に。花とバラ。
- 永遠の春。暁の情景の描写。
- 花の章(アンダンテ)。
- 帆を張って(スケルツォ)。
- コメディア。ウマナ(人間喜劇)。
- 猟師の葬送行進曲。
- 地獄から天国へ(アレグロ・フリオーソ)、心の痛手に耐えかねて。
さすらう若人の歌
1883年、マーラーが23歳のとき、自作の詩によって作曲した歌曲集。伴奏は3管編成の管弦楽である。恋する若者の思いが感傷的に綴られた歌詞は自作であるだけにかなり幼稚であるが、音楽は若々しい甘美な美しさに満ち、マーラーの特色がよく出ている。なお彼の第1交響曲(1885)にこの歌曲集の第2曲と第4曲の旋律が転用されている。現行版はマーラーが1885年に手を加えたものである。カッセル市立歌劇場の指揮者をしていたマーラーは、ヨハンナ・リヒターという娘を恋したが、その恋は容れられなかった。やるせない心をおさえかねて、この歌曲集の創作を思い立ったという。
公的な初演は1896年 3月16日、ベルリン・フィルをマーラー自身が指揮して行われた。独唱者はシスターマンス。これより前、ピアノ伴奏によって歌われたと思われるが、明らかでない。(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)
- 君がとつぐ日:
歌の旋律はニ短調の単純な民謡風のもので、第1曲にふさわしくまだ激情は抑えられている。木管が小鳥の鳴き声を素朴に模写する。中間部は変ホ長調である。 - 露しげき朝の野べに:
ニ長調の明け方の音楽に始まる。この旋律は第1交響曲第1楽章にも用いられる。ツリガネソウの鈴の響きの後、独唱が一時途絶えて転調の中に日の光を描く間奏がくる。ロ短調の明るい音楽。しかし詩人の希望は打ち消され、歌は沈黙する。 - 灼熱せる短刀もて:
第1曲と同じニ短調だが、歌詞の内容に従い、激しい気分で始まる。しかし「ああ、苦しい」の弱々しい叫び声から、憧れに満ちた楽想に変わる。しかしこれは長く続かず、激しい気分に戻り、さらに変ホ短調の中に消え入るように終わる。 - 君が青きひとみ:
「神秘的に憂愁な表現をもって」と記されている。しかしそれに「感傷性はなく」と付け加えられている。前奏もなく、歌は悲痛な感情を抑えて始まる。木管の動機は全体を支配する。歌詞の第2節から若者は彷徨いの旅に出て、ハ長調となる。第3節はボダイジュのもとでの憩いで、明るいヘ長調である。この旋律は第1交響曲第3楽章で用いられることとなる。最後は諦念の静けさのうちに、再びヘ短調に戻ってくる。
交響曲第2番ハ短調『復活』
- Lorin Maazel指揮、VPO、CS. 50DC725-6 (Col.)
- Leonard Bernstein指揮、バーバラ・ヘンドリクス(ソプラノ)、クリスタ・ルートヴィヒ(アルト)、ウェストミンスター合唱団、NYP(ニューヨーク・フィルハーモニック)、Univ. UCCG-9838/41 (DG)
交響曲第3番ニ短調『夏の朝の夢』
- ゲオルグ・ショルティ指揮、シカゴ交響楽団(1983年)、MCFS. 414233-2 (London)、57分
- Leonard Bernstein指揮、クリスタ・ルートヴィヒ(アルト・ソロ)、ニューヨーク。コラール・アオティスツ、ブルックリン少年合唱団、NYP(ニューヨーク・フィルハーモニック)(104分)
ディスク:1
- 第1楽章:力強く、決然として(30:48)
- 第2楽章:メヌエットのテンポで(非常に重々しく) (9:53)
- 第3楽章:コモド・スケルツァンド(急がずに、スケルツォ風に) (16:49)
- 第4楽章:「おお、人間よ!心せよ!」(非常にゆっくりと、神秘的に) (9:57)
- 第5楽章:「3人の天使が美しい歌を歌い」(テンポは朗らかに、表情は素直に) (4:12)
- 第6楽章:ゆるやかに、静かに、感情をこめて(20:43)
この曲はマーラーの書いた自然への讃歌と言うべき作品で、全体としては明るく、旋律も民謡的で、暗さや苦悩は少ない。第2番や第4番の交響曲と同様、ドイツ民謡集「子供の不思議な角笛」と深い関係がある。第5楽章の声楽ではこの歌集からテキストが取られているが、そればかりでなく全体に素朴な民謡調が支配的である。したがってこの曲にはマーラーの持つ深い苦悩や運命との苦闘といった側面はあまり表面化されていないが、種々の点でマーラーの特色をよく出している。素朴な旋律やリズムとの繊細な音色法や和声、本来は抒情的な簡潔さを要求する音楽様式と長々と続く展開形式、高雅な趣味といくらか通俗的な美的感覚ーーこうしたマーラーの相対立する性格の矛盾はこの交響曲にも顕著である。行進曲への偏愛、主題における舞曲や民謡調への支配なども特にこの交響曲に著しい。第3交響曲は一種の交響曲カンタータとも言うべき性格を持っている。巨大な管弦楽にはアルト独唱、少年合唱団、女声合唱団が加わり、楽章も6つを数える。
作曲時代・場所:1893年の夏にはじめられ、ザルツブルグにあるアッターゼー湖畔シュタインバッハにおいて1896年8月6日に完成。マーラー36歳。
初演:個々の楽章の演奏はすでに1896年以後度々行われたが、全曲の初演は1902年6月9日クレーフェルトにおいてマーラー自身の指揮で行われた(この曲は元来ソプラノ独唱付きの第7楽章も構想されていたが、この楽章は後の第4交響曲に取り入られることになった)。
交響曲第4番ト長調『大いなる喜びへの賛歌/ユモレスケ』
- Leonard Bernstein指揮、ヘルムート・ヴィティッゥ(ボーイ・ソプラノ)、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(ソロ・ヴァイオリン:ヤーブ・ファン・ツォーデン)(57:08)
- エリアフ・インパル指揮、ヘレン・ドナート(ソプラノ)、ディーゴ・パギン(ヴァイオリン)、フランクフルト放送交響楽団、録音1985/10/10-11、Co 33C37-7952 (Denon)(56:25)
この曲は終楽章に付けられた独唱の歌詞からも分かるように、地上的な苦悩の彼方にある天国の生活の楽しさを歌ったものである。軽やかなリズムや素朴な笛のしらべ、象徴的な小鳥のさえずりや竪琴の音ーーすべてはあの古代ギリシャの牧歌の世界の、のどかさである。それは、現世から遠ざかった一種の浮遊の状態であるとも言えよう。地上的なものの暗さ、恐ろしさはまったく消えたわけではないが、遠ざかった影のように存在するにすぎない。
しかしこの音楽は、すべての苦悩から脱却したわけではない。牧歌の世界のものうさは時に感傷的な悲しみとほの苦さをともなう。ことにこの曲の短調の部分は何か心の滅入るものを含んでいる。この「暗さ」はしかし、ようやく終楽章に至ってまったく消え去ってしまう。管弦楽は大体量的な重厚さが避けられ、薄明るい半透明のなかにほのかな光を千変万化させる。巧妙極まりない楽器法によって、えも言われぬやわらかなパステルカラーが、優しく、甘く、朗らかに、また物悲しく息づいている。
マーラーはこの曲を1899年の夏、オースリア・アルプスの湖畔アルト・アウスゼーで作曲にかかり、1900年マイエルニッヒで完成した。その後補筆し、1901年11月25日ミュンヘンで、マーラーの指揮下に演奏された。4楽章からなり、終楽章にはソプラノ独唱が付く。楽器編成はマーラーの交響曲としては比較的小さく、3管編成であるが、打楽器類は種類が多い。第2、第3交響曲はこの曲と同じく、「子供の不思議な角笛」から歌詞を取っており、種々の点でこれらを関連作としてまとめてみることができる。(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)
交響曲第5番嬰ハ短調
- Leonard Bernstein指揮、VPO
マーラー自身、第5交響曲をもって彼の新しい創作期がはじまったと言っている。実際第5番から第7番までの3つの交響曲は、1901年から05年までの間に相次いで作られ、ひとつのグループと見なすことができる。いずれも声楽を用いていないし、標題的性格がなく、複音楽的手法を多く用い、構成がかなり古典的であることでも共通していよう。勿論ナイサーの言うように、これら3作は前の時代の作品と比べるとき、彼の個性の新しい転換を意味するのではなく、むしろ同一様式の技巧的深化であるというのも正しい。また古典的形式の尊重ということも一時的な特徴であって、第8交響曲では再び別の方向に進んだのである。
この第5交響曲は1901年に作曲を開始し、翌年には大体完成したが、のち、さらに手を加えた。この1902年の3月にマーラーはアルマ・マリア=ヴェルフェルと結婚したが、マーラーはこの曲が完成した秋に、この新作をピアノでアルマに弾いて聴かせた。新夫人はこの曲に現れるコラール的なものが教会的であまり面白くないと言ったが、マーラーはブルックナーとマーラーの性格に見られる根本的相違を指摘して、自分の主張を曲げなかったという。
マーラーは初演ののちにもたびたび手を加えている。全体は5つの楽章からなるが、第1楽章は第2楽章の序奏のような性格を持つから、伝統的4楽章形式に倣っているとも言える。またこの曲は、出版された総譜に見られるように全体が3部に大別されている。第1部は第1楽章と第2楽章、第2部は第3楽章スケルツォ、第3部は第4楽章と第5楽章とを含む。それによって全体が均衡のとれた構成をもち、同一部のなかでは、楽章が違っても、主題が互いに親近性を持っている。また第1楽章が嬰ハ短調ではじまり、終楽章がニ長調で終わっているのも、嬰ハーニという導音関係によっている。(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)
交響曲第7番ホ短調『夜の歌』
- Leonard Bernstein指揮、NYP(ニューヨーク・フィルハーモニック)
この曲の中でふたつの楽章に「夜の歌」という副題が付されているため、曲全体も「夜の歌」と呼ばれることが多いが、むしろ夜の繊細華麗な明暗と色彩のニュアンスを指示するものと解すべきであろう。マーラーが第5番からはじめた純器楽の交響曲は第7番に至って総決算を見たといべきである。ここでは管弦楽における作曲技法上の諸問題がマーラーの進んできた方向においてそれぞれ成果を収めている。ことに楽器法では、マーラーはここではじめて巨大な編成を使用し、また珍しい楽器を参加させて、驚くべき繊細な色彩を実現した。
和音や調性構造もまったく独自で、この曲が「ホ短調」とされているのは、第1楽章の主部の調をあげているにすぎず、全体の基本調は決めることができない。作曲年代、場所は、1904年から夏の間、マイエルニッヒで作曲、1905年同地で完成。初演は、1908年9月19日、プラハでマーラー自身の指揮(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)
リュッケルトの詩による5つの歌曲
- レナード・バーンスタイン指揮、トーマス・ハンプソン Thomas Hampson(バリトン)、VPO
- 美しさのために愛するなら
- 私の歌をのぞかないで下さい
- ほのかなかおりを私はかいた
- 真夜中に
- 私はこの世に忘れられた
交響曲『大地の歌』
- レナード・バーンスタイン指揮、ジェイムス・キング(ティノール)、ディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウ(バリトン)、WPO