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グスタフ・マーラー

交響曲第1番ニ長調『巨人』

ショルティがマーラーの「巨人」を演奏したのは、これが2度目である。以前のアルバムはロンドン交響楽団を指揮した演奏で、1964年の録音だから、これは実に19年ぶりの再録音ということになる。この19年の間に、ショルティはシカゴ交響楽団の音楽監督・常任指揮者に就任(69年)し、3年間パリ管弦楽団の音楽監督を兼任(72-74年)した。またロンドン・フィルの音楽指揮者(79-83年)をつとめるなど多忙な活躍を見せたが、その間にショルティの芸術は、大きく成長したのである。当然のことといえる。しかもシカゴ交響楽団に着任して、すでに15年に近い。おそらく世界最強と考えられるこの名技集団は、完全にショルティの手兵と化したように思う。

この「巨人」には、そうしたことのすべてが鮮麗な音楽として示されている。マーラーのスコアが、オーケストラの独奏の妙技と合奏の精緻を要求していることはいうまでもないが、ショルティの「巨人」は、今さらのようにその書法のみごとさを痛感させる。すなわち木管と金管のことごとくに、艶やかな音のふくらみと技巧のなめらかさがあり、弦も精緻な中に十分ゆとりがある。それは成熟した銘酒のようにこくのある味わいを具えているが、マーラーのスコアを音にするという仕事は、これでなくてはならない・・・(以下、略)。(ロンドン版日本語ライナー・小石忠男)

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この曲以前にマーラーが作曲したのは、主に室内楽と歌曲であり、28歳になって彼は始めて最初の交響曲を完成し、将来の彼独自の方向が定まった。作曲に着手したのはライプツィヒに滞在していた1884年頃であったが、かなり長い年月を経て、1888年、ブタペスト王立歌劇場の指揮者をしていたときに完成した。

ここには声楽を伴なってないが、彼が23歳のときに作曲した歌曲集『さすらう若人の歌』の旋律を用いていることからしても、早くもマーラーの交響曲の歌曲との密接な関係が示されている。

彼は友人の評論家パウル・ステファンの言をいれて、この曲のヴァイマルとハンブルグびおける上演の際、かってウィーン大学時代に愛読したジャン・パウルの小説と同じ『巨人』という名をこの曲に付け、次のような注を加えた。

  1. 若き日に。花とバラ。
    1. 永遠の春。暁の情景の描写。
    2. 花の章(アンダンテ)。
    3. 帆を張って(スケルツォ)。
  2. コメディア。ウマナ(人間喜劇)。
    1. 猟師の葬送行進曲。
    2. 地獄から天国へ(アレグロ・フリオーソ)、心の痛手に耐えかねて。
この表題はいつの間にか削除されてしまった。いずれにしろこの曲は『巨人』という言葉から受ける感じは少しもなく、青年の憧憬と抒情をゆたかに盛り上げた佳作である。(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)

さすらう若人の歌

1883年、マーラーが23歳のとき、自作の詩によって作曲した歌曲集。伴奏は3管編成の管弦楽である。恋する若者の思いが感傷的に綴られた歌詞は自作であるだけにかなり幼稚であるが、音楽は若々しい甘美な美しさに満ち、マーラーの特色がよく出ている。なお彼の第1交響曲(1885)にこの歌曲集の第2曲と第4曲の旋律が転用されている。現行版はマーラーが1885年に手を加えたものである。

カッセル市立歌劇場の指揮者をしていたマーラーは、ヨハンナ・リヒターという娘を恋したが、その恋は容れられなかった。やるせない心をおさえかねて、この歌曲集の創作を思い立ったという。

公的な初演は1896年 3月16日、ベルリン・フィルをマーラー自身が指揮して行われた。独唱者はシスターマンス。これより前、ピアノ伴奏によって歌われたと思われるが、明らかでない。(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)

  1. 君がとつぐ日:
    歌の旋律はニ短調の単純な民謡風のもので、第1曲にふさわしくまだ激情は抑えられている。木管が小鳥の鳴き声を素朴に模写する。中間部は変ホ長調である。
  2. 露しげき朝の野べに:
    ニ長調の明け方の音楽に始まる。この旋律は第1交響曲第1楽章にも用いられる。ツリガネソウの鈴の響きの後、独唱が一時途絶えて転調の中に日の光を描く間奏がくる。ロ短調の明るい音楽。しかし詩人の希望は打ち消され、歌は沈黙する。
  3. 灼熱せる短刀もて:
    第1曲と同じニ短調だが、歌詞の内容に従い、激しい気分で始まる。しかし「ああ、苦しい」の弱々しい叫び声から、憧れに満ちた楽想に変わる。しかしこれは長く続かず、激しい気分に戻り、さらに変ホ短調の中に消え入るように終わる。
  4. 君が青きひとみ:
    「神秘的に憂愁な表現をもって」と記されている。しかしそれに「感傷性はなく」と付け加えられている。前奏もなく、歌は悲痛な感情を抑えて始まる。木管の動機は全体を支配する。歌詞の第2節から若者は彷徨いの旅に出て、ハ長調となる。第3節はボダイジュのもとでの憩いで、明るいヘ長調である。この旋律は第1交響曲第3楽章で用いられることとなる。最後は諦念の静けさのうちに、再びヘ短調に戻ってくる。

交響曲第2番ハ短調『復活』

交響曲第3番ニ短調『夏の朝の夢』

ゲオルグ・ショルティ指揮、シカゴ交響楽団、交響曲第3番ニ短調(1983年)
ディスク:1
  1. 第1楽章:力強く、決然として(30:48)
  2. 第2楽章:メヌエットのテンポで(非常に重々しく) (9:53)
  3. 第3楽章:コモド・スケルツァンド(急がずに、スケルツォ風に) (16:49)
ディスク:2
  1. 第4楽章:「おお、人間よ!心せよ!」(非常にゆっくりと、神秘的に) (9:57)
  2. 第5楽章:「3人の天使が美しい歌を歌い」(テンポは朗らかに、表情は素直に) (4:12)
  3. 第6楽章:ゆるやかに、静かに、感情をこめて(20:43)
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この曲はマーラーの書いた自然への讃歌と言うべき作品で、全体としては明るく、旋律も民謡的で、暗さや苦悩は少ない。第2番や第4番の交響曲と同様、ドイツ民謡集「子供の不思議な角笛」と深い関係がある。第5楽章の声楽ではこの歌集からテキストが取られているが、そればかりでなく全体に素朴な民謡調が支配的である。したがってこの曲にはマーラーの持つ深い苦悩や運命との苦闘といった側面はあまり表面化されていないが、種々の点でマーラーの特色をよく出している。素朴な旋律やリズムとの繊細な音色法や和声、本来は抒情的な簡潔さを要求する音楽様式と長々と続く展開形式、高雅な趣味といくらか通俗的な美的感覚ーーこうしたマーラーの相対立する性格の矛盾はこの交響曲にも顕著である。行進曲への偏愛、主題における舞曲や民謡調への支配なども特にこの交響曲に著しい。第3交響曲は一種の交響曲カンタータとも言うべき性格を持っている。巨大な管弦楽にはアルト独唱、少年合唱団、女声合唱団が加わり、楽章も6つを数える。

作曲時代・場所:1893年の夏にはじめられ、ザルツブルグにあるアッターゼー湖畔シュタインバッハにおいて1896年8月6日に完成。マーラー36歳。
初演:個々の楽章の演奏はすでに1896年以後度々行われたが、全曲の初演は1902年6月9日クレーフェルトにおいてマーラー自身の指揮で行われた(この曲は元来ソプラノ独唱付きの第7楽章も構想されていたが、この楽章は後の第4交響曲に取り入られることになった)。

交響曲第4番ト長調『大いなる喜びへの賛歌/ユモレスケ』

この曲はマーラーの交響曲中でも最も一般に親しまれている曲であろう。これは他の場合に窺われるような、全世界の苦悩を一身に引き受けたかのごときマーラーと違って、平和な心情の安定があり、清らかな牧歌ともいうべき曲である。シュペヒトはこの曲をマーラーの「間奏曲」と名づけた。形式的にもハイドンやモーツァルトに近づいたところが多く、古典的形式を尊び、他の交響曲のように長大でないから理解しやすい。

この曲は終楽章に付けられた独唱の歌詞からも分かるように、地上的な苦悩の彼方にある天国の生活の楽しさを歌ったものである。軽やかなリズムや素朴な笛のしらべ、象徴的な小鳥のさえずりや竪琴の音ーーすべてはあの古代ギリシャの牧歌の世界の、のどかさである。それは、現世から遠ざかった一種の浮遊の状態であるとも言えよう。地上的なものの暗さ、恐ろしさはまったく消えたわけではないが、遠ざかった影のように存在するにすぎない。

しかしこの音楽は、すべての苦悩から脱却したわけではない。牧歌の世界のものうさは時に感傷的な悲しみとほの苦さをともなう。ことにこの曲の短調の部分は何か心の滅入るものを含んでいる。この「暗さ」はしかし、ようやく終楽章に至ってまったく消え去ってしまう。管弦楽は大体量的な重厚さが避けられ、薄明るい半透明のなかにほのかな光を千変万化させる。巧妙極まりない楽器法によって、えも言われぬやわらかなパステルカラーが、優しく、甘く、朗らかに、また物悲しく息づいている。

マーラーはこの曲を1899年の夏、オースリア・アルプスの湖畔アルト・アウスゼーで作曲にかかり、1900年マイエルニッヒで完成した。その後補筆し、1901年11月25日ミュンヘンで、マーラーの指揮下に演奏された。4楽章からなり、終楽章にはソプラノ独唱が付く。楽器編成はマーラーの交響曲としては比較的小さく、3管編成であるが、打楽器類は種類が多い。第2、第3交響曲はこの曲と同じく、「子供の不思議な角笛」から歌詞を取っており、種々の点でこれらを関連作としてまとめてみることができる。(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)

交響曲第5番嬰ハ短調

マーラーの交響曲第5番は、以前は彼の10曲の交響曲のうちでは特に有名なほうではなかった。しかしそれは作品が他よりも一段劣るというのではなく、その複音楽的構成と激しい情感とが人を近づきにくくしていたからであろう。マーラーの作品としてはむしろ意欲的な力作であり、近年では高い人気を誇るようになった。

マーラー自身、第5交響曲をもって彼の新しい創作期がはじまったと言っている。実際第5番から第7番までの3つの交響曲は、1901年から05年までの間に相次いで作られ、ひとつのグループと見なすことができる。いずれも声楽を用いていないし、標題的性格がなく、複音楽的手法を多く用い、構成がかなり古典的であることでも共通していよう。勿論ナイサーの言うように、これら3作は前の時代の作品と比べるとき、彼の個性の新しい転換を意味するのではなく、むしろ同一様式の技巧的深化であるというのも正しい。また古典的形式の尊重ということも一時的な特徴であって、第8交響曲では再び別の方向に進んだのである。

この第5交響曲は1901年に作曲を開始し、翌年には大体完成したが、のち、さらに手を加えた。この1902年の3月にマーラーはアルマ・マリア=ヴェルフェルと結婚したが、マーラーはこの曲が完成した秋に、この新作をピアノでアルマに弾いて聴かせた。新夫人はこの曲に現れるコラール的なものが教会的であまり面白くないと言ったが、マーラーはブルックナーとマーラーの性格に見られる根本的相違を指摘して、自分の主張を曲げなかったという。

マーラーは初演ののちにもたびたび手を加えている。全体は5つの楽章からなるが、第1楽章は第2楽章の序奏のような性格を持つから、伝統的4楽章形式に倣っているとも言える。またこの曲は、出版された総譜に見られるように全体が3部に大別されている。第1部は第1楽章と第2楽章、第2部は第3楽章スケルツォ、第3部は第4楽章と第5楽章とを含む。それによって全体が均衡のとれた構成をもち、同一部のなかでは、楽章が違っても、主題が互いに親近性を持っている。また第1楽章が嬰ハ短調ではじまり、終楽章がニ長調で終わっているのも、嬰ハーニという導音関係によっている。(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)

交響曲第7番ホ短調『夜の歌』

この曲はマーラーの作品のなかでも転換点をなすもので、彼の個性が種々の点で著しく現れ、前作第6交響曲とくらべてはるかに独創的になっている。また全体として、第6番のきわめて悲観的な気分と反対に、明るく、楽天的である。ここにも、第6番からの種々の動機が再び現れているが、それは第6番のような悲劇性を持たない。第2楽章の夜の行進も、幽暗な短調は単に色彩的明暗を際立たせるためであり、第3楽章の死の舞踏も色彩的効果以上に深まらない。そして何よりも終楽章の積極的肯定がこの曲の全体的性格を決定している。

この曲の中でふたつの楽章に「夜の歌」という副題が付されているため、曲全体も「夜の歌」と呼ばれることが多いが、むしろ夜の繊細華麗な明暗と色彩のニュアンスを指示するものと解すべきであろう。マーラーが第5番からはじめた純器楽の交響曲は第7番に至って総決算を見たといべきである。ここでは管弦楽における作曲技法上の諸問題がマーラーの進んできた方向においてそれぞれ成果を収めている。ことに楽器法では、マーラーはここではじめて巨大な編成を使用し、また珍しい楽器を参加させて、驚くべき繊細な色彩を実現した。

和音や調性構造もまったく独自で、この曲が「ホ短調」とされているのは、第1楽章の主部の調をあげているにすぎず、全体の基本調は決めることができない。作曲年代、場所は、1904年から夏の間、マイエルニッヒで作曲、1905年同地で完成。初演は、1908年9月19日、プラハでマーラー自身の指揮(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)

リュッケルトの詩による5つの歌曲

フリードリヒ・リュッケルトは、東洋の詩を独訳したことをもって知られたドイツ・ロマン派の詩人であるが、マーラーは、この人の「亡き子をしのぶ歌」のほかに、ここに掲げる5つの詩に作曲した。そのうちの4曲は1901年の夏に作曲され、第5曲だけは1902年に作曲された。同じ頃に作曲された《亡き子をしのぶ歌》とは異なり、ひとつの主題によって統一されたものではなく、各歌曲は特別の内容的関連はない。この《リュッケルトの詩による5つの歌曲》は、「子供の不思議な角笛」による<レヴェルゲ>と<少年鼓手>の2曲を加えて、《最後の7つの歌曲》として、まとめて扱われることも多い。リュッケルトの詩は常に素朴な言語表現を守り、その陰に人間の苦悩をほのめかしているが、マーラーもそうした単純さを基本としているものの、多くの場合、終曲に近づくにつれ、ひそんでいる情感を表面化させる。(グスタフ・マーラー『交響曲全集』楽曲解説・渡辺護)

交響曲『大地の歌』

『大地の歌』(だいちのうた、独:Das Lied von der Erde)は、グスタフ・マーラーが1908年に作曲した、声楽(2人の独唱)を伴う交響曲。連作歌曲としての性格も併せ持っている。「大地の歌」というメインタイトルに続き、副題として「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」(Eine Symphonie fur eine Tenor und Alt (oder Bariton) Stimme und Orchester )とあり、通常マーラーが9番目に作曲した交響曲として位置づけられるが、連作歌曲としての性格も併せ持っており、「交響曲」と「管弦楽伴奏による連作歌曲」とを融合させたような作品であるといえる。このため、交響曲としてはかなり破格の存在であり、「9番目の交響曲」であるという点も影響してか、マーラーは「第○番」といった番号を与えなかった(詳しくは第九のジンクスの項を参照)。なお、ウニフェルザル出版社から出版されている決定版総譜には「大地の歌」とだけ記されていて「交響曲」とは全く記されていないところを見ると、歌曲集としての重みも非常に強い(Wikipedia)。


Last modified: Thu, 11 Oct 2012 20:14:01 +0900
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