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埼玉

関東山地が末広がりに関東平野へと高度を落とし消えていく。埼玉県の山はそんな地形にあって、首都東京の北側に隣接する群馬、長野、山梨などとの県境をなす2000m前後の中級山岳から、平野部に隆起する数10mの散歩コースまで、バラエティは豊か。家族連れからエキスパートまで、幅広い登山者を迎えている(山渓、新・分県登山ガイド「埼玉県の山」)。

一般的に埼玉の山は、奥多摩、奥秩父に二分されるが、「埼玉県の山」では山域別に奥秩父、秩父、北秩父、外秩父、奥武蔵の5つに分けている。

奥秩父

埼玉県を貫流し、県内随所にその恵みをもたらし、東京湾に注ぐ埼玉の母なる川・荒川。その源流を取り囲むが如くに峻立し、群馬、長野、山梨各県と境を接する、埼玉県内で最も奥まった山域。

秩父

現在の秩父市はかって大官郷と呼ばれ、山国・秩父の中心地だったという。荒川の河岸に開けた盆地には、縄文時代からの人跡もあり、日本武尊や秩父庄司畠山重忠にからむ伝説などが多い。秩父34ヶ所の観音霊場は西国33ヶ所、坂東33ヶ所を合わせて日本100観音をなし、秩父夜祭で名高い秩父神社とともに遠方へも及ぶ民間信仰の中心地であった。

北秩父

秩父市の北、荒川左岸の山々をこう呼んでいるが、「北武蔵」の呼称もしばしば聞かれる。明治17年、松方財閥による不況に苦しんだ秩父の農民は、隣接する群馬、長野の農民とともに秩父国民党を結成、減税や借金棒引きなどを要求したが聞き入れられず、下吉田の椋神社で武装蜂起。郡役所や警察、高利貸などを襲撃したが、官憲の手により数日で鎮圧、壊滅させられた。世にいう秩父事件だが、この山域は事件の大きな舞台だった。


Last modified: Sat, 13 May 2017 17:47:57 +0900
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