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1950年代の松本清張
- 西郷札 傑作短編集(3)(51.3週間朝日別冊他、新潮文庫)
- 或る「小倉日記」伝 傑作短編集(1)(52.9三田文学他、新潮文庫)
- 奥羽の二人(短編集)(53.12別冊文藝春秋他、講談社文庫)
- 共犯者(短編集)(1956.11週刊読売他、新潮文庫)
- 徳川家康(1955大日本雄辯會、角川文庫)
- 大奥婦女記(1955.10〜56.12新婦人、講談社文庫)
- 張り込み 傑作短編集(5)(1955.12小説新潮他、新潮文庫)
- 野盗伝奇(1956.5〜57.2地方紙連載、74.4中公文庫、角川文庫)
- 佐渡流人行 傑作短編集(4)(1957.1オール読物、新潮文庫)
- 点と線(1957.2〜58.1旅、新潮文庫)
- 眼の壁(1957.4〜12週刊読売、新潮文庫)
- ゼロの焦点(1958.1〜太陽、58.3〜60.1宝石、新潮文庫)、テレビドラマ(1991年版)
- 駅路 傑作短編集(6)(別冊文藝春秋1958年62号、新潮文庫)
- 黒地の絵 傑作短編集(2)(1958.3〜60.1新潮、新潮文庫)
- 蒼い描点(1958.7〜59.8週刊明星、新潮文庫)
- 黒い画集(1958.9〜60.6週刊朝日、新潮文庫)
- 黒い樹海(1958.10〜60.6婦人倶楽部、講談社文庫)
- 危険な斜面(短編集)(1959.2オール読物他、62.6光文社、文春文庫)
- 波の塔(上・下)(1959.5〜60.6女性自身、文春文庫)
- 失踪の果て(短編集)(1959.5.1〜5.29週刊スリラー他、角川文庫)
- 霧の旗(1959.7〜60.3婦人公論、新潮文庫)
- 黒い福音(1959.11.3〜60.6.7週刊コウロン、新潮文庫)
- 影の地帯(1959.7〜60.3河北新報他、新潮文庫)
- 黄色い風土(1959.5〜60.8北海道新聞他、講談社文庫)
西郷札 傑作短編集(3)
巻頭の「西郷札」は著者の処女作で1951.3の「週刊朝日」春期増刊号に発表、懸賞応募作品に入選しての掲載で、直木賞候補にもなった。「或る『小倉日記』伝」とともに、著者の生涯に重大な転機をもたらした記念すべき作品である。時代小説の第1集。西南戦争の際に薩軍が発行した軍票をもとに一攫千金を夢見た男とその破滅を描く、「西郷札」。江藤新平の末路を実録的に描いて、同じ権力機構内にいるものの軋轢。対照的な勝敗を浮かび上がらせた「梟示抄」(別冊文芸春秋53年32号)。幕末に、大名、家老、軽輩の子としておなじ日に生まれた3人の子供が動乱の時代にいかなる運命を辿ったを追求した「啾々吟」(オール読物53年3月号)。異色の時代小説12篇を収める。題材別には、幕末から明治維新にかけての時代を背景とした作品6篇、徳川時代の初期を背景とした作品6篇になる。だいたい芥川賞受賞後、2・3年のあいだに書かれたものが多い。(新潮社文庫)#この処女作を読むと、清張が史料をよく勉強し、マスターしていると共に、その構成力、描写力、においてもほぼ完成したものを持っていたことが分かる。これだけの筆力を所有する作者なら、入賞とか受賞という偶然事がなくとも、そのまま世に埋もれるというはなかったんだと思う。
#「或る「『小倉日記』伝」1952.9三田文学発表、この作品で第28回芥川賞受賞したのは、1952。作者の文学的資質が、「無技巧の技巧」とも称すべき、あざやかな文体は、むしろ短編小説にあらわれているのである。松本文学の本領は短編にある。「火の記憶」(小説公園53年10月号、三田文学52年3月号の「記憶」を改題・改稿したもの)は、少年の心の中の闇を描いた佳作。
#1954.7に一家が上京、当初は練馬区関町の借家に住んでいたが、3年後の1957年に石神井に転居。朝日新聞社勤務時代には歴史書を雑読し、広告部校閲係の先輩から民俗学の雑誌を借りて読んでいた。また樋口清之の考古学入門書を愛読していたという。
ほかに、「恐喝者」(1954.9オール読物、1964.10光文社『松本清張短編全集8・遠くからの声』)、「愛と空白の共謀」(1958.12女性自身、1964.12光文社『松本清張短編全集10・空白の意匠』)、「青春の彷徨」(原題『死神』1953週刊朝日・時代小説傑作集6、1964.4光文社『松本清張短編全集6・青春の彷徨』)、「点」(1958.1中央公論、1964.6光文社『松本清張短編全集7・鬼畜』)、「潜在光景」(1961.4婦人公論、1964.12光文社『松本清張短編全集10・空白の意匠』)、「剥製」(1959.1中央公論文芸特集号、1964.12光文社『松本清張短編全集10・空白の意匠』)、「典雅な姉弟」(1961.5婦人公論)、「距離の女囚」(1954.3オール読物)の計10編を収める。(新潮社文庫)
#テーマ作は、1958年に大映で映画化、また数度テレビドラマ化されている。なお朝日新聞社のほうは、西部本社勤務時に引き続いて意匠係の主任となったが、1956.5.31付で退社。退社の直接の契機は井上靖からの助言であった。
# 1957年に清張は長編だけでなく、「地方紙を買う女」「鬼畜」「1年半待て」「捜査圏外の条件」「カルネアデスの舟板」「白い闇」等の推理小説あるいは犯罪小説の短編群を精力的に書きついでいる。張り込み 傑作短編集(5)等に収録されているので、併せて読んでみると面白い。のちに社会派推理小説と呼ばれるようになるんだけど、清張の新しい文学エコールは、実質的にこの1957年から開始されているんだ。その劈頭を飾る秀作が「点と線」というわけ。
# 謎解き小説とみれば、隙間のある不完全な作品だが、清張の新しい文学エコールの秀作には間違いない。言ってみれば、オキュパイド・ジャパンという未曾有の社会的混乱の中から派生したひとつの社会的悲劇を、一見平凡な一会社員の失踪という事件に具体化した清張の着眼、それを歩一歩現実化していくプロセスが優れている。
テレビドラマ(1991年版):
放送期間:1991年7月9日(1回)
「松本清張作家活動40年記念スペシャル・ゼロの焦点」。7月9日に日本テレビ系列の『火曜サスペンス劇場』枠(21:03-23:22)で放送。視聴率20.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。脚本の新藤兼人は原作者の指名を受けたもの。犯人が海上に小舟を漕ぎ出すシーンの撮影に関して、新藤は難色を示したが、原作者の希望により脚本に導入され、撮影が行われた。尚、本作品は収録時季が初夏であった為、原作小説特有の重苦しい空気感や北陸地方の寒々しい陰鬱な冬の風景などは全く見られず、いささか趣を異にする。フイルム撮影作品。(Wikipedia)
#清張が50歳間近で書いた「天城越え」という短編は、以下の書き出しで始まる。
「私が、初めて天城を越えたのは30数年昔になる。『私は20歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。1人伊豆の旅に出かけて4日目のことだった・・(以下略)』というのは川端康成氏の名作『伊豆の踊子』の一節だが、これは大正15年に書かれたそうで、ちょうど、この頃私も天城を越えた。違うのは、私が高等学校の学生ではなく、16歳の鍛冶屋の倅でであり、この小節とは逆に下田街道から天城峠を歩いて、湯ケ島、修善寺に出たのであった。そして朴歯の高下駄ではなく、裸足であった。」
この作品は「伊豆の踊り子」とほぼ同じ場所を舞台に、16歳の少年の体験を描いた推理小説だが、清張の描き出した青春は暗さに満ちている。本作は、主人公が30数年後に、自分がかって天城越えをした時に起こった事件を回想する形式の推理小説である。主人公の16歳の鍛冶屋の息子の肖像に、作者の青春時代の屈折した思いが投影されている。伊藤整は「川端康成の芸術」の中で、「伊豆の踊子」について、「なにか影のようなものが欠けている」と指摘している。美しいもの、清いもの、輝くものをひたすら見つめようとする川端康成と対照的に、清張は、時代や人間の深淵に潜む影の部分、闇の部分に常に目を凝らしてきた作家である。
青年検事小野木喬夫は、ふとしたことから愛し合うようになった女性の素性を知った。結城頼子は人妻だった。それは彼が予想していたことではあったが、しかし、運命の皮肉は、ふたりの関係を無残に打ち砕こうとする。この小説は悲しい恋の成りゆきを現代社会の悪の構造の中に描いたみずみずしいロマンだ。(1959.5〜1960.6 女性自身)(文春文庫)
或る「小倉日記」伝 傑作短編集(1)
「松本清張傑作短編集」は現代小説、歴史小説、推理小説各2巻の全6巻よりなる。本書は現代小説の第1集。身体が不自由で孤独な一青年が小倉在住時代の鴎外を追究する芥川賞受賞作「或る「『小倉日記』伝」。旧石器時代の人骨を発見し、その研究に生涯をかけた中学教師が業績を横取りされる「石の骨」(1955.6文藝春秋)。功なり名とげた大学教授が悪女にひっかかって学界から顛落する「笛壷」(1955別冊文藝春秋秋)。他に9編を集める。「菊枕」(1954.12文藝春秋)、「火の記憶」(1955.6オール読物)、「断碑」(1953.8文藝春秋)、「赤いくじ」(1954.3オール読物)、「父系の指」(1955.9新潮)、「青のある断層」(1957.4別冊文藝春秋)、「喪失」(1955.11オール読物)、「弱味」(1953.6週間朝日別冊)、「箱根心中」()(新潮社文庫)。
1953.12.1付で朝日新聞東京本社に転勤となり、上京。当初単身赴任となった清張は、まず杉並区荻窪の田中家(田中嘉三郎は清張の父である峯三郎の弟。嘉三郎はすでに死去していたが、その家族が住んでいた)に寄宿。奥羽の二人
不敵な野望と奔放さに満ちた若き伊達正宗と奥羽で対峙する蒲生氏郷。2人にとって越えることのできない大きな存在が秀吉であった。天下に志を得ずに終わった彼らの胸中の苦悶を描く表題作のほか、抗いがたい力に翻弄され、結局は身を滅ぼしていった武将たちの悲話10編を収録(1954.4別冊文芸春秋)。待望の歴史小説傑作短編集。(講談社文庫)共犯者
銀行を襲い、仲間と山分けにした金で商売をはじめた内堀彦介は、事業に成功した今、真相露見の恐怖から5年前に別れた共犯者の監視を開始するが・・・。疑心暗鬼から自滅していく男を描く「共犯者」(1956.11週刊読売、1965.2光文社『松本清張短編全集11・共犯者』)。妻の病気、借金、愛人とのもめごと、仕事の失敗−−−たび重なる欲求不満と緊張の連続が生み出す衝動的な殺意を捉えた「発作」(1957.9新潮、1964.11光文社『松本清張短編全集9・誤差』)。徳川家康
1955年、青少年向きの伝記シリーズの1作として書き下ろしたもの。人の一生のなかには、3つの転機がある。先ず17、8歳のとき、女たちの感化で悪くなる。次は30歳、ものごとに慢心して、老朽のものを馬鹿にする心に注意。最後は、40歳、過去ばかり振返って将来を見なくなる。この3転機に注意せよ。と説いた徳川家康の生涯を、青少年向きに書き下ろした伝記文学の白眉。(角川文庫)大奥婦女記
江戸城に画然と仕切られた男子禁制の大奥。時勢に乗って権勢を謳歌する女、逆境の我が身を嘆く女、次代の隆盛を狙って密かな策動を図る女。愛と憎しみと嫉妬と。様々な思いを秘めて、女のさがが渦をなす大奥には、特殊環境ゆえの異常な確執が激しく火花を散らす。その実相を冷徹な作家の眼が捉えた時代長編。(1955.10〜56.12新婦人、講談社文庫)張り込み 傑作短編集(5)
本巻は現代小説、歴史小説、推理小説とわけた短編シリーズの第5巻にあたる。つまり、推理小説の最初の巻にあたる。「張り込み」(1955.12 小説新潮)は推理小説に近づいた最初の作品、他に「1年半待て」(1957)「声」「鬼畜」(1957)「カルネアデスの舟板」(1957.8 文学界)など6編を収める。(新潮社文庫)野盗伝奇
1956.5〜57.2、地方紙連載、74.4中公文庫として刊行される。関ヶ原戦の1年後。信州高島藩の若侍、伊助と家老、兵部はある約束を交わす。伊助が主君の敵、丹後を討てば、その報酬として、兵部の美しい娘、美也を嫁にもらうというのである。が、命懸けで豪傑丹後を暗殺したというのに、兵部は約束を無視しようとする。伊助は、復讐の念に燃え、無法の野武士集団に身を投じる・・・。強靭なパワーと意志力とそして寡黙な優しさを蓄えて、愛と誇りを守るため果敢に戦う男たちの、友情とロマンにみちた、長編冒険小説。(角川文庫)佐渡流人行 傑作短編集(4)
時代小説の第2集。誤解から役人の妻との過去を疑われた男が、逃れるすべのない絶海の孤島佐渡に送られ、金山の湧き水を汲み出す水替人足として想像を絶する地獄の苦しみを味わう「佐渡流人行」。下級役人の哀しい運命をたどる「甲府在番」。江戸っ子の意地を痛快に語る「左の腕」。ほかに「陰謀将軍」、「腹中の敵」、「秀頼走路」、「戦国謀略」(別冊文芸春秋53年33号)など戦国時代に取材した力作8編を収める。(1957.1 オール読物)(新潮社文庫)点と線
1957.2〜1958.1「旅」に連載、推理小説としては著者の処女長編である。この年には「眼の壁」「ゼロの焦点」と推理小説の長編3本の連載に着手した。九州博多付近の海岸で発生した、一見完璧に近い動機づけを持つ心中事件の裏にひそむ恐るべきかん計。汚職事件に絡んだ複雑な背景と、殺害時刻に容疑者は北海道にいたという鉄壁のアリバイの前に立ちすくむ捜査陣・・・。列車時刻表を駆使し、リアリスティックな状況設定により、推理小説界にいわゆる”社会派”的な新風をもたらし、空前の推理小説ブームを呼んだ秀作。(新潮社文庫)眼の壁
1957.4〜12「週刊読売」に連載、「点と線」と平行して書き上げられ1958.2にこの両長編が単行本として出版されると、圧倒的な歓迎を受け、推理作家としての著者の地位を不動にしたという。瑞浪から馬篭を経て大平峠にいたる木曽路が写される。白昼の銀行を舞台に、巧妙に仕組まれた三千万円の手形詐欺。責任を一身に負って自殺した会計課長の厚い信任を得ていた萩崎は、学生時代の友人である新聞記者の応援を得て必死に手がかりを探る。二人は事件の背後にうごめく巨大な組織悪に徒手空拳で立ち向かうが、せっかくの手がかりは次々に消え去ってしまう・・・。複雑怪奇な現代社会の悪の実体をあばき、鬼気迫る追求が展開する。(新潮社文庫)ゼロの焦点(1957〜1960)
1957.10〜「太陽」、廃刊に伴い1958.6〜1960.1「宝石」に連載される。
前任地での仕事の引継に行って来るといったまま新婚1週間で失踪した夫、鵜原憲一のゆくえを求めて北陸の灰色の空の下を尋ね歩く禎子。ようやく手がかりを掴んだ時、”自殺”として処理されていた夫の姓は曽根であった。夫の影の生活がわかるにつれ関係者が次々に殺されていく。戦争直後の混乱が尾を引いて生じた悲劇を招いて、名作「点と線」と並び称される著者の代表作とされている。(新潮社文庫)
制作局:日本テレビ
企画:小坂敬(日本テレビ)、松本陽一
監督:鷹森立一
脚本:新藤兼人
プロデューサー:嶋村正敏(日本テレビ)、赤志学文(近代映画協会)、坂梨港
出演者:眞野あずさ、増田恵子
エンディング:竹内まりや「告白」駅路 傑作短編集(6)
推理小説の第2集。平凡な人生を歩き、終点に近い駅路に到着した時、耐え忍んだ人生からこの辺で解放してもらいたいと願い、定年後の人生を愛人とすごそうとして失踪した男の悲しい終末を描く『駅路』。耶馬台国の謎を追求する郷土史家を描きながら”耶馬台国論争”に関する著者の独創的見解を織り込んだ力作『陸行水行』。他に『ある小官僚の抹殺』(別冊文藝春秋1958年62号)『万葉翡翠』など8編を収める。(新潮社文庫)黒地の絵(傑作短編集(2))
現代小説の第2集。朝鮮戦争のさなか、米軍黒人兵の集団脱走事件の起こった基地小倉を舞台に、妻を犯された男のすさまじいまでの復讐を描く『黒地の絵』。美術界における計画的な贋作事件をスリリングに描きながら、形骸化したアカデミズム、閉鎖的な学界を糾弾した『真贋の森』。他に、一画家のなにげない評伝から恐るべき真実を探りあてる『装飾評伝』など7編を収める。(1958.3〜1960.1 新潮)(新潮社文庫)蒼い描点
「週刊明星」の1958.7.28(創刊号)〜1959.8.30に連載。 若い編集者椎原典子は、女流作家村谷阿沙子の原稿催促に出向いた箱根で顔見知りのフリー・ライターの変死にぶつかる。死者と村谷女史に謎の繁がりを感じた典子と同僚崎野はやがて女史に代作者がいたという確信を持つ。女史の夫と女中の相次ぐ失踪、女史の精神病院への逃避、そして第二の殺人と、事件は意外な方向へ発展する・・・。心理の微妙な起伏と情景の描写が光る推理長編。(新潮社文庫)黒い画集
1958.9〜1960.6「週刊朝日」に連載。その作品中から著者がみずから選んだ7編が、この決定版「黒い画集」である。1960 は安保反対の運動で社会が騒然とした年だが、同時にこの年は、推理小説ブームがひとつの頂点に達した年でもある。その記念碑的作品。「遭難」、「証言」、「天城越え」(1959.11 サンデー毎日特別号)、「寒流」、「凶器」、「紐」、「坂道の家」の7編が収められる。(新潮社文庫)黒い樹海
仙台へ旅立った筈の姉が、意外にも浜松でバス事故に遭い急死!身分証明書が不明のため知らせが遅れ、笠原祥子は事故現場へとんだが手ががかりは無かった。新聞社へ勤めた彼女は、姉の交友関係の男たちを追求中同僚の婦人記者と、事件の鍵を握る女性の相次ぐ殺人事件!マスコミに潜む人間悪を抉る現代推理の傑作。(1958.10〜60.6週刊朝日、1973.6講談社)(講談社文庫)危険な斜面
男というものは絶えず急な斜面に立っている。爪を立てて上にのぼっていくか、下に転落するかだ!10年ぶりに会った女は男の会社の実力者会長の妾だった。彼女を利用して昇進に成功した男は、やがて彼女の存在が邪魔になり完全犯罪をくわだてる。が、それはまさに危険な斜面だった・・・。表題作(1959.2 オール読物)の他5篇「二階」(1958.1婦人朝日)、「巻頭句の女」(1958.7小説新潮)、「失敗」(1958 新春号・別冊週刊サンケイ)、「拐帯行」(1958.2日本)、「投影」(1957.7読売倶楽部)の本格推理短編を収録。単行本(1962.6光文社)(文春文庫)波の塔(上・下)
偶然に、お互いの身の上も知らずに出逢ったふたり。そして愛が芽生えた。男はまだ駈け出しの検事、女は・・・謎のひと。ふたりの心は会うたびに深まっていったが、常に悲しく暗い予感がつきまとっている。この作品はたびたび映画やテレビドラマになった香り高いロマンであり、社会的な背景とサスペンスを持った異色の恋愛小説だ。失踪の果て
Q大理学部の中年教授が大学からの帰途に失踪、赤坂のマンション一室で首吊り死体となって発見された。自殺か、他殺か?当人が一度も口にしたことのない場所で死んでいた。カバンの中にしまう習慣の手帳が洋服のポケットにあった、などの不審点から他殺説が浮上、教授と若い女の話声を耳にしたという隣室夫婦の証言で、捜査の的は、謎の女の追求に絞られたが・・・。素材、テーマに多彩な変化を見せる、推理短編6作品、失踪の果て(1959.5.1〜5.29 週刊スリラー)、額と歯(1958.5.14 週刊朝日)、やさしい地方(1963.12 小説新潮)、繁盛するメス(1962.1.1 週刊文春)、春田氏の講演(1963.4.10 週刊女性)、速記録(1979.12 別冊文春)を収録。(角川文庫)霧の旗
1959.7〜1960.3「婦人公論」に連載された長編。『点と線』『眼の壁』で社会性に富んだ本格推理の書き手として注目された。本作品を発表した 1959 は、さらに戦後史の黒い影を描いた一連の作品の先駆ともなる『小説・帝銀事件』を書き、スチュワーデス殺人事件に材をとった『黒い福音』を手がけ、次第と政治的・社会的諸事件をあつかうようになてゆく。殺人事件で捕らえられ、死刑の判決を受けた兄の無罪を信じて、柳田桐子は九州から上京した。彼女は高名な弁護士大塚欽三に調査を懇願するが、すげなく断られる。兄は汚名を着たまま獄死し、桐子の大塚弁護士に対する執拗な復讐が始まる・・・。それぞれに影の部分を持ち、弧絶化した状況に生きる現代人にとって、法と裁判制度は何か?を問い、その限界を鋭く指摘した野心作である。(1959.7〜1960.3「婦人公論」)(新潮社文庫)黒い福音
救援物資の横流し、麻薬の密輸から殺人事件まで、”神の名”のもとに行われた恐るべき犯罪の数々。日本の国際的な立場が弱かったために、事件の核心に迫りながらキリスト教団の閉鎖的権威主義に屈せざるを得なかった警視庁・・・。現実に起こった外人神父による日本人スチュワーデス殺人事件の顛末に強い疑問と怒りをいだいた著者が綿密な調査を重ね、推理と解決を提示した問題作。(1959.11.3〜1960.6.7『週刊コウロン』連載、引き続きその推理編は『燃える水』と改題され、1960.6.14〜10.25連載)(新潮社文庫)