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新田次郎
長野県諏訪郡上諏訪町(現:諏訪市)角間新田に生まれる。おじに気象学者藤原咲平がいる。ペンネームは“新田の次男坊”から(「しんでん」を「にった」と読み替え)。旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)・無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)・電機学校(現在の東京電機大学の母体)卒業。妻ていは作家。次男正彦は数学者・エッセイスト。長女の咲子も、家族を書いた小説を発表している。登山好きの皇太子徳仁親王が愛読する作家として知られる。
- 強力伝・孤島(1951―60年)
- 蒼氷・神々の岸壁(1952-64年)
- 火の島(1957-66年)
- 縦走路(1958年)
- 永遠のためいき(1960年)
- 孤高の人(1969年)
- 霧の子孫たち(1969年)
- 雪の炎(1969年)
- 武田信玄(1969年〜73年)
- 栄光の岩壁(1973年)
- 八甲田山死の彷徨(1971年)
- 劒岳点の記(文藝春秋77年/文春文庫81年/同新装版06年)
- ラインの古城(1975-78年、オール読物、小説新潮、小説現代)
強力伝・孤島
飯豊で新雪を踏んできたと思ったら、札幌では早くも雪の天気予報だ。今日は、先日ブログ仲間の甘納豆さんからリコメンドのあった新田次郎「強力伝・孤島」を読み終えたので簡単に記しておこう。50貫もの巨石を背負って、白馬岳山頂に挑む山男を描いた新田次郎の処女作である。現在なら間違いなくヘリコプターだと思うのだけど、この時代は未だそうでなかったんだね。それこそ命がけで登っていく姿、何故そこまでと思いながらも一揆に読んでしまった。続いて、明治35年1月、青森歩兵第5連隊の210名の兵が遭難した悲劇的雪中行軍を描く『八甲田山』。富士山頂観測所の建設に生涯を捧げた一技師の物語『凍傷』。他に『おとし穴』、『山犬物語』。太平洋上の離島で孤独に耐えながら気象観測に励む人々を描く『孤島』。山を知り、雪を風を知っている著者の傑作短編集であった(2006年10月、新潮文庫改版69刷)。(2007/11/12)初出一覧
- 『強力伝』、サンデー毎日、1951年中秋特別号
- 『八甲田山』、1955年9月、朋文堂刊『強力伝』収録「吹雪の幻影」改題
- 『凍傷』、文学者、1955年2月号
- 『おとし穴』、オール読物、1960年2月号
- 『山犬物語』、サンデー毎日、1955年陽春特別号
- 『孤島』、サンデー毎日、1955年中秋特別号
蒼氷・神々の岸壁
1ヶ月ほど前、4人の若者が「思い出作りに富士山に登ろう」と計画。全員が冬山は未経験、ジーパンにスニーカーの軽装で、当然ながら登山計画書の提出もなかった。新田次郎が聞いたら、軽装で登るとは、非常識極まりない。下界は秋でも富士山は冬。無謀な4人に呆れ返っていることだろう。――鋭いアイゼンの爪もよせつけない蒼氷に覆われる巌冬期、石が水平に飛ぶ台風シーズン、富士山頂の苛烈な自然を背景に、若い気象観測員の厳しい生活と、友情と死を描いて息づまる迫力をよぶ長編『蒼氷』。ヒマラヤを夢み、岩と岸壁に青春を賭けた天才クライマーが、登攀不能といわれた谷川岳衝立岩を征服するまでの闘志と情熱を描く実録小説『神々の岸壁』。他に2編併録(新潮文庫・1974年発行・1983年19刷)。(2007/12/03)初出データ:
- 「蒼氷」…初の長編小説(「郷愁の富士山頂」を改題、1957年8月、講談社)、「郷愁の富士山頂」は「山と渓谷」1952年2月号〜1953年5月号まで連載。
- 「疲労凍死」…「オール読物」1961年8月号「
- 「怪獣」…「小説現代」1964年9月号
- 「神々の岸壁」…「小説中央公論」1963年1月号
火の島
新田次郎の『強力伝・孤島』の中に収録されている「孤島」の続編とも言うべき作品。台風観測の最前線に位置する絶海の孤島・鳥島は、1965年11月、火山爆発の危機にさらされていた。不気味な地の鳴動、鼻をつく異臭、そして大噴火を目前にした鳥島観測所。絶体絶命の状況で、死の恐怖と観測の使命の前に苛立つ所員たちの緊迫した心理と行動を迫真の筆でとらえた長編表題作。他に「毛髪湿度計」、「ガラスと水銀」の2短篇を併録する。著者ならではの科学小説集!(1986年文春文庫、第19刷)初出データ:
- 「火の島」、1966年9月、新潮社
- 「毛髪湿度計」、「ガラスと水銀」、1957年7月、新潮社刊『火山群』に収録
縦走路
出張の行き帰りの時間で結構、小説を読むのだけど今回はNG。連泊になると、付合いが増えてしまって家にいる時より時間が少なくなったようである。でも、めげずに昨日から新田次郎の縦走路を半分ほど読み終えたので、:内容の半分を今日は記したい。(2007/04/25)末尾の解説を読むと、58年7月号から11月号まで5回にわたって「新潮」に連載された作品とある。従って、ストーリーの最初で3人が出会う北アルプス、針ノ木峠を越えて立山に出るコース(大町〜大出〜大沢小屋〜針ノ木雪渓〜針ノ木小屋〜針ノ木谷〜平ノ小屋)の状況は、黒部ダムの完成前だったので(自然のまま)非常に興味深い。2人の山男は、「女流登山家に美人なし」と言う通念をくつがえす。美貌のアルピニスト(内容を拝見すると、いささか大げさ)”千穂”に夢中になる。
職場に帰った山男の1人、蜂屋道太郎は同僚の香野美根子(峰子さんではない?)に、この「美貌のアルピニスト」のことを話したことから、千穂が美根子の学生時代の友人であることが分る。蜂屋たちは千穂に強い関心をもち、蜂屋はこの小生意気な女に挑戦するように、冬の八ヶ岳縦走を企てるが有給を既に使い果たしておりとれない。旧友であるライバルの美根子を交えた4人の間に、恋愛感情のもつれが起こる・・・。きびしい冬山を舞台に、”自然vs人間”から起こる緊迫したドラマをみごとに描く長編山岳小説!解説・小松伸六(58年新潮連載、62年新潮文庫、01年61刷)
関連リンク
- 黒部ダム
通称「黒4ダム」と呼ばれたこともあったが、ダムに貯えられた水を利用している発電所が黒部川第四発電所(黒四)であることからの俗称。工事開始が56年なので、本小説が連載された時期の同時進行的なトピックス性は高い。第1工区(大町トンネル)の間組による建設工事の完了は58年5月。新田次郎が小説の取材のために現地へ行かれた時期は、きっとこの前年あたりだったのかも知れない。現場では発電所をできるだけ早期に稼働させるため、ダムの完成を待たずに一部湛水を行い、発電を開始するという方式がとられた。コンクリート打設中の60年10月に湛水開始。なんとも凄まじい工事だったのである。 - 針ノ木小屋・大沢小屋の総合案内
- 大町登山案内人組合(針ノ木谷〜五色ヶ原〜室堂)
永遠のためいき
星のまたたきは星のためいきだ。地球のある限り星は永遠のためいきをつく。天文学者岡村の一行は天文台の設置調査のため八ヶ岳に登り、遭難寸前の女性パーティを救う。やがて二組の男女の間に芽生えた慕情はシンチュエーションのようにきらめき始める。晩秋の八ヶ岳と厳冬の蓼科山を舞台に描く清新なロマン。解説・大河内昭爾(文春文庫、1986年第16刷)初出データ:
- マドモアゼル、1960年1〜12月号
霧の子孫たち
初夏、レンゲツツジの赤い群落と残雪のように白いスズランの花で覆われる霧ケ峰の高原。高層湿原植物が群生し、地元民の心の故郷・旧御射山遺跡の広がる美しい大草原をコンクリートの自動車道路が分断します!テーマは自然ですが、新田次郎にしてはちょこ趣が違います。自然と人間との対抗というよりは、ここでは自然の尊さを訴えているようです。主人公の地元民・宮森栄之助は終戦の翌年復員すると、戦前でさえも見られなかったほどの情熱を考古学の研究につぎ込みます。戦争で痛めつけられた自分自身を取り戻すには、それ以外の道がなかったのでしょうか。彼は家業をほうり出して土器や石器を追いました。自然を破壊し、公害を生む道路建設反対に立ち上がった、一途な信州人たちの闘志と友情を描いた意欲長篇。弥彦山のスカイライン建設のときの越後人たちは、どうしていたのでしょうか。解説・巌谷大四(70年文藝春秋、89年文春文庫)。雪の炎
週末の天気予報が雨模様だったので、すっかり春の山を諦めて2日酔い気味の土曜の1日だった。家に引きこもってタイトルに掲げた新田次郎の小説を読み終えたので、簡単に記しておこう。末尾に記された作者付記によれば、「女性自身」誌上に連載を始めたのは69年8月23日号以来。毎週15枚ずつ、17回で完結という約束だったが、2回延びて19回になったという。「雪の炎」という言葉は、作者の造語で気象学的には地吹雪のことである。新雪の翌朝などに、強風に吹き飛ばされる稜線の雪が白い炎のように見えるのを形容したタイトルらしい。女性の心のように、その冷たく燃え上がる美しさを寓意したようにもとれる題名である(69年女性自身連載、73年文藝春秋刊、80年文春文庫第1刷、93年第18刷)。(2007/04/21)舞台は華村敏夫をリーダーとしてSLの和泉四郎、大熊菊雄、多旗洵子、有部雅子らと土樽山荘から万太郎山に向けて吾策新道から谷川岳肩ノ小屋へ向かうというもので、最近の高速道路とコンビニ慣れしたスタイルからすれば時代がかったシチュエーションだ。万太郎山からは濃いガスの中を歩くが、彼らは1人としてこの県境尾根を歩いた者はいない。ガスはやがて雨になって、風速も15m、晩夏の縦走コースだが気温は下がり0℃近い。敏夫は泣きながら歩く雅子の荷物を背負って歩き、ザックからザイルを出す。しかし我侭な洵子だけはザイルに繋がれることを拒否する。
悲劇はここから始まる。洵子はオジカ沢避難小屋に近い稜線上から突風性の強風で、雨に濡れた笹薮の中に滑落・・・。だが死んだのは兄の敏夫だけだった。慎重な兄だけが何故?兄の死に疑問をもった妹の名菜枝は、その真相を追究しようと決心する。本当に事故死なのか、それとも他殺なのか。一体、この♂3人、♀2人のパーティには何があったのか?解説・小松伸六
劒岳点の記
1907年7月、陸地測量部の柴崎芳太郎(1876〜1938)を測量官とする測量隊が三角点埋設を行うため剱岳山頂に挑んでから、今年100年の節目を迎える。10/18〜21の短期間になるが、富山県民会館において、地図展「富山」を開催されるという。日露戦争後、前人未踏といわれ、また、決して登ってはいけない山と恐れられた北アルプス、剱岳山頂に三角点埋設の至上命令を受けた測量官、柴崎芳太郎。器材の運搬、悪天候、地元の反感など様々な困難と闘いながら柴崎の一行は山頂を目指して進んでゆく。そして、設立間もない日本山岳会隊の影が。山岳小説の白眉ともいえる(81年文春文庫、06年新装版1刷)。(2007/05/03) 関連リンク
- 立山信仰と立山曼荼羅の解説(立山博物館Dr.福江充氏のページ)
- 柴崎測量官が作成した点の記(剱岳はない)
- 三角点の探訪三角点の探訪(上西勝也氏のページ)
- おもしろ地図と測量のページ (旧・ 飛ぶ夢をしばらくみない少年のホームページ)
- 三角点写真館
- 三角点写真館別館
- 国土地理院
ラインの古城
新田次郎、晩年の珠玉の短編集でした!売りに出された由緒あるラインの古城を、買い取ろうと執念を燃やす日本人夫婦の秘めたる過去――表題作のほかには、海外旅行に出かける日本人を描いた『青きドナウの夢の旅』。外国に滞在する日本人がさまざまなカルチャー・ギャップに悩みながら行動し生活する姿を、克明な取材のもとに描き出した佳作5篇、何れも新田次郎独特の感情過多にならない筆致が魅力です。著者円熟期の珠玉短編集。解説は、奥様の藤原ていさんです。(1979年文藝春秋、82年文春文庫)収録作品初出誌一覧:
- ラインの古城:オール読物、1975年12月号
- マグノリーの花の下で:オール読物、1977年12月号
- 青きドナウの夢の旅:小説新潮、1978年12月号
- カスターニーの実が落ちるころ:週間新潮、1978年10月5日号
- 山霧の告知:小説現代、1979年1月号
- 熱雲:小説現代、1978年1月号