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吉村昭

東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区東日暮里)に製綿工場経営者の八男として生まれる。1940年、旧制開成中学校(開成高等学校の前身)に入学。在学中に、家庭教師(東大法学部3年生)の指導で岩波文庫などの古典日本文学などを読むようになり、読書の楽しみを知る[1]。また、中2のとき『ボートレース』と題する作文が校内雑誌に掲載された[2]。寄席通いを好んだが戦時下にあり補導員の目をかいくぐりながら、鈴本演芸場、人形町末広、神楽坂演芸場へ通った[3]。肋膜炎や肺浸潤で欠席が多かったが、1945年3月、戦時特例による繰上措置のため卒業できた。しかし教練の成績が悪かったため上級校に進学できず、予備校生活を送る。

  1. 高熱隧道(1967新潮社、新潮文庫)
  2. 海の奇蹟(1968文藝春秋、角川文庫)
  3. 大本営が震えた日(1968新潮社、新潮文庫)
  4. 海の史劇(1972新潮社、新潮文庫)
  5. 羆嵐(1977新潮社、新潮文庫)
  6. ふぉん・しいほるとの娘(1978毎日新聞社、講談社文庫、新潮文庫)
  7. 破獄(1983岩波書店、新潮文庫)
  8. 長英逃亡(1984.9毎日新聞社、新潮文庫)
  9. 花渡る海(1985.11中央公論社、中公文庫)
  10. 海の祭礼(1986.10文藝春秋、分春文庫)
  11. 帰艦セズ (1988文藝春秋/91同文庫)

海の祭礼

日本に開国を求めてやって来たペリー(1794-1858)を驚かせた人物がいた。それは、発音に妙な訛りはあるが、かなり巧みな英語を話す通詞森山栄之助(1820-71)であった。「鎖国をしている日本にこんなに上手に英語を話せる侍がいるのはなぜだ?」と。その影には、一人のアメリカ人ラナルド・マクドナルド(1824-94)の存在があった。この当時、英語の習得は日本の命運を左右する最重要課題であったようである。江戸時代、外国との貿易が許されていたのは長崎、唯一滞在が許されていたのはオランダ人であり、長崎出島には世襲制のオランダ通詞がいた。森山は、そうした通詞の一人として長崎に生まれるが、利尻島に偽装漂着したラナルド・マクドナルドから、本格的に英語を学び蘭・英2ヶ国語を話せるマルチリンガルな通詞として活躍していく。本作は、マクドナルドが利尻島に漂着するところから引き込まれるが、ペリーが浦賀に来航した頃の日本や世界の情勢がよくわかる本である。

一気に読み終えて、タイトルの「海の祭礼」が何を意味しているのか気になった。先月読んだ「花渡る海」(中公文庫)では、吉村昭の意図するところが直ぐ分かったが、今回は何処にもそれらしいものは出てこない。巻末解説では、海に視点を置き、そこから陸地で起こっていることを眺めるという描き方こそタイトルの意だろうと記されていた。これでは「祭礼」のほうが曖昧のままだ。今初出年代が86年だということだから、改めて考えてみると捕鯨と関係があるようである。クジラ類は哺乳類に属するので、魚のように自然環境によって資源が直接影響されることは少ないのだが、繁殖力が低いので獲りすぎると資源の回復が遅いのだと思う。いっぽう経済的価値が高いので昔から乱獲されやすく、年々減少傾向にあった。減少防止のために国際捕鯨取締条約が36年に発効、更にIWC (国際捕鯨委員会) は1982年、商業捕鯨を全面禁止する決定をし、日本の南氷洋捕鯨は87年に、沿岸捕鯨も88年ピリオードを打った。

本作の78頁では、捕鯨船のマストの上方に登っている見張り番が潮を吹くマッコウクジラPhyseter macrocephalusの群れを発見。群れに近づいたところで、船から3隻のボートを次々に降ろしていく。マクドナルドは、恐怖に襲われながら櫓をこぎ続けた。クジラから4〜5mの距離に接近すると、ボートの銛打ちはふりしぼるような声をあげて、連続してもりを鯨に打ち込みむ。もりに結ばれた麻綱が強く張られ、それに引かれたボートが勢いよく走り出した。銛打ちはさらに数本の槍を投げる。傷ついた鯨の動きがようやくにぶり、銛打ちが急所に槍の刃先を深く食い込ませ、何度もえぐる。心臓が破れると同時に異様な音をさせて血が噴出、海水は朱に染まり、マクドナルドたちは血だらけになった。本船に引き上げられた鯨は、その後、数日間の解体作業にかけられる。肉が切断され、脂肉がはがされていく。その間に、船尾に固縛された頭部からは抹香油を採取、次々と樽につめられてゆく。脂肉は大鍋に入れて薪を燃やして溶かして油にして大樽に注ぎ込む。煙が異臭とともに流れ、炎から立ち上るススでマストも綱も黒くなっていたという。現代人の感覚からすれば、思わず目をそむけたくなるような凄惨な描写だ。吉村昭は、こうした鯨の捕獲から解体作業までの一連のイベントを「海の祭礼」と表現したのではないだろうか。(2011/12/10 10:25)



Last modified: Mon, 14 Jan 2013 15:53:56 +0900
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