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鶴田浩二

鶴田 浩二(つるた こうじ、1924年(大正13年)12月6日 - 1987年(昭和62年)6月16日)は、日本の俳優、歌手。本名は小野 榮一。静岡県浜松市出身。昭和を代表する映画スターとして数多くの映画やドラマに主演した。歌手としても多くのヒットを出し、独特の歌唱法でも有名だった。(以下は、タイトル、日本語題名、製作年、役名)
  1. 砂漠を渡る太陽 (1960/8) 曽田力
  2. 孤剣は折れず 月影一刀流 (1960/12) 神子上源四郎
  3. 続・次郎長三国志 (1963/11) 清水の次郎長
  4. 次郎長三国志 第三部 (1964/2) 清水の次郎長
  5. 竜虎一代(1964.09.23、東映東京)- 草刈信次郎
  6. 日本侠客伝 関東篇 (1965/8/12) 江島勝治
  7. 次郎長三国志 甲州路殴り込み (1965/8/25) 清水の次郎長
  8. 日本侠客伝(第4作) 血斗神田祭 (1966/2) 長次
  9. 兄弟仁義 関東三兄弟 (1966/12) 一力良次郎
  10. 博奕打ちシリーズ(東映京都)
    1. 博奕打ち(1967.01.28) - 海津銀次郎
    2. 博奕打ち 一匹竜(1967.05.03) - 相生宇之吉
    3. 博奕打ち 不死身の勝負(1967.07.08) - 朝倉常太郎
    4. 博奕打ち 総長賭博(1968.01.14) - 中井信次郎(天龍一家六人衆・中井組組長)
    5. 博奕打ち 殴り込み (1968/3) 小嵐幸次郎
    6. いかさま博奕 (1968/9) 明石常次郎
    7. 必殺博奕打ち (1969/9) 保科金次郎
    8. 博奕打ち 流れ者(1970.04.18) - 舟木栄次郎 2023/2/10録(東映ch)
    9. 札つき博徒(1970.09.09) - 柏木竜次
    10. 博奕打ち いのち札(1971.02.13) - 相川清次郎
    11. 博奕打ち外伝(1972.07.30) - 江川周吉(一匹狼船頭組頭)
  11. 兄弟仁義 続・関東三兄弟 (1967/5) 末広勝次郎
  12. あゝ同期の桜 (1967/6) 陣之内大尉
  13. 侠客列伝 (1968/8) 直木浅次郎
  14. 人生劇場 飛車角と吉良常 (1968/10) 飛車角
  15. 博徒列伝 (1968/12) 若松勇次郎
  16. 日本暴力団 組長 (1969/7) 塚本鉄男
  17. 日本暴力団 組長と刺客 (1969/11) 堀田光雄
  18. 渡世人列伝 (1969/12) 稲垣長吉
  19. 昭和残侠伝 吼えろ唐獅子 (1971/10東映) 三州政治
  20. 関東緋桜一家 (1972/3) 旅清
  21. 日本暴力団 殺しの盃 (1972/5) 一色宏治
  22. 昭和残侠伝(第9作) 破れ傘(1972/12) 晴雨弥三郎
  23. あゝ決戦航空隊 (1974、東映京都) 大西瀧治郎

砂漠を渡る太陽 (1960、東映東京)

監督:佐伯清
脚色:池田一朗、小川英
原作:斎木寿夫
企画:坪井与、岡田寿之
製作:大川博
出演:鶴田浩二、山村聡 、伊藤雄之助、山形勲、中山昭二、高倉健、花澤徳衛、永田靖、岡田眞澄、富田仲次郎、神田隆、曽根晴美、山茶花究、大村文武、長谷部健、佐久間良子
音楽:斎藤一郎
撮影:三村明
編集:田中修
製作会社:東映東京
配給:東映
上映時間:96分

斎木寿夫の小説『沙漠都市』を原作として「男対男」の池田一朗(隆慶一郎)と小川英が脚色し「第三の疑惑」の佐伯清が監督したドラマ。撮影は「警視庁物語 聞き込み」の三村明、音楽は「夜の流れ」の斎藤一郎。主演は「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」の鶴田浩二と「ふんどし医者」の山村聡が務めた。鶴田浩二の東映入社第一回作品として知られる。(allcinema)

斎木和夫の「砂漠都市」を「男対男」のコンビ池田一朗と小川英が脚色し、「第三の疑惑」の佐伯清が監督したもので、終戦間近い満州を舞台にしたドラマ。撮影は「警視庁物語 血液型の秘密 聞き込み」の三村明。鶴田浩二の東映入社第一回作品。(KINENOTE)

竜虎一代(1964.09.23、東映東京)


Source:東映チャンネル 2023/2/15
暗い過去を持つやくざが鉄道工事に生甲斐を見つけ、その完成のために命を賭けて斗うアクション巨編。明治末期、北九州の遠賀川に鉄道が敷かれようとしていた。生活の糧を奪われる川船頭たちは反対して工事の妨害を企み、鉄道工夫たちと争いを繰り返していた。さらに、鉄道側の松橋組組長、松橋が何者かに暗殺される。そんな折、国外脱出を目論んで草刈信次郎が東京からやってきた。草刈は松橋が刺殺された現場に居合せたことから、松橋組の居候となる。

監督:小林恒夫 ?出演:鶴田浩二 | 佐久間良子 | 千葉真一 ...more(allcinema)

明治二十四年、時の流れにのって、北九州の遠賀川にも鉄道が敷設されようとしていた。が、船で石炭を運んでいた川船頭たちは鉄道が敷かれるとメシの喰い上げになるので、強硬に反対した。また、そのために、幼馴みであった鉄道側の松橋組社長松橋と川船頭親方石岡とは仲違いをしていた。そんな折も折、石岡が暗殺された。そんなところへ、国外脱出をもくろんで、東京から流れてきたやくざ、草刈信次郎がやってきた。彼は、自分の親方と不義の仲にあった女房を刺殺して警視庁刑事三杉に追われて、東京から逃げてきたのだ。草刈は松橋が刺殺された現場に居合せたことから、松橋の娘雪子(藤純子)と松橋組組頭宮川のすすめでそのまま松橋組の居候となった。草刈は鉄道工夫の仕事にしだいに生甲斐を感じるようになっていった。そんな草刈に、酒亭ひさごの酌婦北島くみ(佐久間良子)は惚れていった。一方石岡組組頭縄手清治(天知茂)と雪子は、親同士も認めた恋仲だったが、松橋が死んでから雪子は縄手を避けるようになった。証拠は無くとも父松橋は石岡組の手で殺されたのだ。雪子は縄手に挑戦するように鉄道敷設に力を注いだ。松橋が死んでも、鉄道工事は一向に衰えをみせない。あてがはずれた石岡は、一気に工事を破壊しようと、工事現場にダイナマイトを仕かけた。これに反対する縄手は雪子にその事を教えた。が時すでにおそく、火薬は爆発し、居合せた弟新一は命を失った。松橋のみならず、弟新一まで失った雪子の悲しみは大きかった。そんな雪子を見て怒りに燃えた草刈は、石岡に迫った。が、そこに縄手が立ふさがった。草刈の刃は縄手を倒した。鉄道も無事完成した。草刈は刑事三杉の前にだまって両手をさし出すのだった。くみの眼が涙に光っていた。(KINENOTE)

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人生劇場 飛車角と吉良常 (1968)


Source:東映任侠映画ポスター集

監督:内田吐夢
脚本:棚田吾郎
原作:尾崎士郎
企画:俊藤浩滋、大久保忠幸、吉田達
製作:大川博
出演:鶴田浩二、辰巳柳太郎、松方弘樹、藤純子高倉健、左幸子、信欣三、島田正吾、若山富三郎、大木実天津敏、山本麟一、遠藤辰雄、名和宏、山城新伍
音楽:佐藤勝
撮影:仲沢半次郎
編集:長沢嘉樹
製作会社:東映東京
配給:東映
上映時間:109分

「人生劇場」は14回映画化されている。戦後の作品では1968年版(本作)と1972年版が有名。(Wikipedia) 尾崎士郎の『人生劇場 残侠篇』をもとに、棚田吾郎が脚色し内田吐夢が監督。内田が『人生劇場』を映画化するのは、1936年の「人生劇場 青春編」に次いで二回目、実に32年ぶりのこと。(allcinema)

大正14年。8年ぶりに上海から故郷に戻った吉良常(辰巳柳太郎)は、亡き主人青成瓢太郎(島田正吾)の子瓢吉(松方弘樹)を尋ね、東京に出た。瓢吉は文士になるため勉強していたが、中学時代の恩師黒馬(信欣三)と同居していた。吉良常も瓢吉の家に腰をおろすことになった。その頃、砂村の小金(若山富三郎)一家と貸元大横田(遠藤辰雄)の間にひと悶着が起った。飛車角が大横田がやっているチャブ女おとよ(藤純子)を足抜きさせ、小金一家に匿ったからである。飛車角は宮川(高倉健)や小金らと殴り込みに加わり、大横田の身内丈徳(天津敏)を斬って勝利を収めた。しかし、飛車角は兄弟分の奈良平(名和宏)が裏切っておとよを連れ出したことから、奈良平を斬った。そのため飛車角は巡査に追われ、瓢吉の家に逃げ込んだのだった。留守宅を護っていた吉良常はすぐさま何が起ったかを悟る。詮索せずに酒を勧める吉良常に飛車角は感謝し自首することを決意するのだった。小金の計らいでおとよに会える算段が整えられていたが飛車角は会わずに自首する。しかし、おとよはそのまま行方をくらましたのである。

四年の歳月が流れた。宮川は玉ノ井の女に惚れ、毎日通っていた。宮川の知らないことだったが、それはおとよだった。仲間はそれと知って忠告した。小金一家にとって飛車角は大恩人なのだ。しかし、おとよに惚れ込んだ宮川は二人で逃げようとしていた。一方、吉良常はおとよに、飛車角に面会に行くよう勧めた。だが、おとよの心はもう飛車角にはなかったのだ。苦悩するおとよは、瓢吉の青春の想い出となったお袖(左幸子)と共に姿をくらました。やがて飛車角が特赦で出所した。すでに小金は病気で世を去り、丈徳の跡目を継いだデカ虎(山本麟一)に寺兼(大木実)も殺されていた。そのころ瓢吉は懸賞小説に当選し、大陸に渡ることになった。吉良常は、瓢吉が男として名を上げるまで墓は建てるな、と遺言して自殺した瓢太郎のために、今こそ墓を建てる時だと思って飛車角と共に吉良港に発った。

飛車角はそこの旅館でおとよと再会する。溢れる気持ちでいっぱいとなった二人に吉良常は「昔は昔、今は今と言うことにして角さんを気持ちよく酔わせてやってくれ」と優しく助言するのだった。その晩海に入水しようとするおとよを飛車角が止める。そしてそのまま二人は感極まり抱き合う。吉良常は長年の疲れで病床に伏し、やがて瓢太郎かたみのピストルを銀杏の梢に向けて撃ちつづけながら、その生涯を閉じたのだった。その折り、飛車角を丈徳の仇を狙うデカ虎、そのデカ虎を狙う宮川も吉良港にやってきた。宮川は単身、デカ虎が草鞋を脱いだ杉源一家に殴り込みをかけ、全身を斬りきざまれながら果てた。そのことを知った飛車角は杉源一家とデカ虎と渡りあい宮川の仇を討ったのだった。飛車角は宮川の死体をおとよに託すとただ一人、立ち去って行った。(KINENOTE)

博奕打ち 流れ者(1970.04.18)


Source:amazon 2023/2/11


Source:東映チャンネル 2023/2/11
鶴田浩二主演の『博奕打ち』シリーズの第8作。渡世の義理から仲間とともに殴り込みをかけた舟木栄太郎は、凄絶な戦いの末見事相手を倒す。一緒に殴りこんだ老侠客・仁助は深手を負い、栄太郎に別れた妻と娘・とみに届ける金を託し息を引き取った。それから5年。とみを探す栄太郎は深川木場の木場政一家に草鞋を脱ぎ、そこで材木問屋に嫁いだとみと出会う。材木問屋は木場一帯に野心をもつ、ある博徒一家に狙われ大きな不幸が見舞っていた。

監督:山下耕作 ?出演:鶴田浩二 | 若山富三郎 | 水島道太郎 ...more(allcinema)

「極道釜ケ崎に帰る」の鳥居元宏と「関東テキヤ一家 喧嘩仁義」の志村正浩が脚本を共同執筆、「極道釜ケ崎に帰る」の山下耕作がこのシリーズ第二作「博奕打ち 総長賭博」以来久々に監督したシリーズ第八作。撮影は「ごろつき部隊」の鈴木重平が担当。(KINENOTE)

製作=東映(京都撮影所)9巻 2,736m 100分 カラー ワイド(日本映画データベース)

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あゝ決戦航空隊 (1974)


Source:KINENOTE

監督:山下耕作
脚本:笠原和夫、野上龍雄
製作:草柳大蔵
企画:日下部五朗、杉本直幸
出演:鶴田浩二、池部良、小林旭、山城新伍、梅宮辰夫、北大路欣也、中村玉緒、菅原文太
音楽:木下忠司
撮影:塚越堅二
編集:堀池幸三
製作会社:東宝映画
配給:東宝
上映時間:163分

太平洋戦争を舞台に、神風特別攻撃隊の嚆矢となった作戦を描く戦記スペクタクル。(allcinema)

かつて如何なる戦史にも類をみない“特攻戦術”の生みの親、大西滝治郎中将の生涯と、命令に服し散っていった特攻隊の全貌を描く。原作は草柳大蔵の『特攻の思想』。脚本は「仁義なき戦い 頂上作戦」の笠原和夫と「唐獅子警察」の野上龍雄、監督は「山口組外伝 九州進攻作戦」の山下耕作、特撮監督は本田達男、撮影は「激突!殺人拳」の塚越堅二がそれぞれ担当。

太平洋戦争開幕以来、進撃を続けた日本軍ではあったが、その成功もわずか半年たらずで停滞し、昭和十九年六月、マリアナ群島の拠点、サイパン島攻防戦の火蓋がきられた。その頃、大西滝治郎中将は、海軍軍需省局長として、物資調達に奔走していた。児玉誉士夫機関長は、大西の合理的な判断と奔放な行動力に心服していた。やがて七月、サイパンは陥落。米内海相は、大西を第一航艦司令長官に任命した。サイパン陥落を境に、日本の敗勢はおおうべくもなく、東条内閣から小磯内閣へと変ったが、国難打開の責任は参謀本部の双肩にかかっていた。七月十五日、参謀本部は最後の決戦案を立案し、フィリッピン方面における戦闘を捷一号作戦と名づけた。十月、クラーク基地に姿を現わした大西は、猪口参謀、玉井中佐を呼び、特攻の編成を命じた。今まで、特攻作戦の進言に逡巡し、残り三十機の飛行機で正規の戦術で闘おうと努力した大西だったが、捷一号作戦を前に、敢て火中の栗を自らの手で掴む苦悩の決断であった。かくして、関行男大尉を指揮官とする神風特別攻撃隊が編成され、戦史にその例を見ない必死必殺の特攻作戦が生まれたのである。だが、この捷一号作戦もまた失敗に終った。戦局は益々苛烈なる退勢をたどり、硫黄島の全滅、沖縄の激戦と日本は追いつめられ、本土決戦は時間の問題となっていた。そして、特攻作戦は今や大本営作戦として命令され、連日、全基地から特攻隊が出撃していった。時和二十年五月、大西は軍令部次長として帰国した。本土空襲によって焼けた我が家で妻、淑恵と再会した大西だが、家庭を暖める暇はなく、児玉機関と協力して飛行機材料の入手に努める一方、和平論に傾いてきた軍令部、米内海相に徹底抗戦を説得しつづけた。だが、大西、小園らの動きにもかかわらず最高戦争指導会議では、ソ連を仲介とした和平に期待していた。だが八月、突如ソ連は対日宣戦を布告、満州に侵入、アメリカは広島、長崎に原爆を投下、日本はポツダム宣言を受諾するか、どうかの岐路に立たされた。大西は必死だった。豊田連合艦隊司令長官をくどき、米内海相にぶつかり、主戦論を通すべく奔走した。「このまま何もせずに敗戦では軍人として申し訳なし」これが大西の本土徹底抗戦論の原点である。彼の胸中には、彼の命令で出撃し散華していった若い特攻隊員の姿が焼きついていた。和平の動きを察知した小園は、以後独自行動をとる事を宣言、若手士官たちも小園に従い、叛軍を決意した。八月十四日、御前会議で聖断が下り、大西は米内から切々たる説諭を受け、抗戦主張を断念、働哭する。八月十五日、終戦の玉音放送。八月十六日、午前二時。大西滝治郎中将は官舎にて自刃した。かけつけた児玉が、淑恵を迎えにいくが、二人が戻った時には既に大西は息絶えていた。厚木基地に大西の自刃が伝えられた。私淑し、尊敬した大西の死に錯乱する小園。若手士官たちは包囲をくぐり、ゼロ戦で脱出を計った。その一機が、火葬場に向う大西の棺を乗せたトラックの上をバンクして、大西の後を追うかのように、東京湾に自爆していった。(KINENOTE)



Last modified: Sat, 11 Feb 2023 17:29:22 +0900
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